正しい不妊治療
人間は、なぜ生きるのか。
大学時代に、同性愛・同性婚についてのレポートを書いたことがある。
同性婚を反対する学説に、「人間の種の存在目的は子孫繁栄であるから、子孫繁栄ができない同性愛には合理性がない」といったものがあったように記憶している。
当時は、かなり思い切った過激な学説だなあと驚いた記憶があるが、今はどうしても共感してしまう。自分が不妊治療でどうしようもなく悩んでいる、いまは。
結婚は29歳のとき、旦那は3歳うえの32歳だった。
結婚適齢期の印象かもしれないが、田舎である地元の友達はとっくに結婚して第二子を産んでいたり、大学生時代の比較的都会っこの友達をみても、もう子供ができているひとも珍しくなく、当事者からすれば遅めの、少なくとも早くはないぐらいの結婚だった。
旦那は賢くて几帳面で努力家だけど、私はアホで大雑把で稚拙。だから旦那がなぜ私と結婚したくなったのかは永遠の謎。
だから、自分より少しは若い私の妊孕性に期待しているのかな、という気も付き合った当初から考えていたことだった。
結婚して何ヶ月かで話し合って妊活を始めた。排卵日ぎりぎりまで飲酒したり、遊び回って体調をすぐ崩す私に対して募る旦那のイライラ。
私は、どことなく不安だったけど、どことなく自信があった。学生時代から生理が重く、社会人になってからは不正出血もあり長年ピルを飲んでいた。
だから不安だけど、それでも、姉には子供がいるし、私の方が姉より体は強い方だから、きっと大丈夫。そんな私を横目に、生理は毎月やってきては時が過ぎた。
病院にも通い、色々な検査をした。卵子を育てる薬を飲んだり、注射をしたりした。それでも、一度も検査薬が染まったことはない。いまの今までも。
毎月悲しかったし、毎月なぜなのか疑問に思い、いつまで続くのかと毎日不安に思った。それでも、体外受精にふみきるまでは、楽観的だったように思う。最悪体外受精もあるしね、と思っていたら、自分がその最終手段まできてしまった。しかも、顕微授精。
顕微授精は、まず女性の体内から育てた卵子を採取し、それに男性から採取した精子から良さそうなものを注入して受精させ、育てる。ある程度まで育ったものを女性の子宮にもどし、妊娠させる。いま、このプロセスより高度な不妊治療は存在しないらしい。
それでも、まったくうまくいかない。受精がうまくいっても、育つ前に成長が止まってしまう。
先生は、旦那の精子ではなく私が作っている卵子に問題があるのだろうと言った。それでも、次はうまく行くかもしれないから、何回も卵子をとるし、精子をとる。だってこれ以上、この世界でできることは何もない。
卵子は適切な大きさに育ったタイミングを見計らってとる必要がある。仕事の都合を考慮して成長の調整をしてくれるわけではない。
だから、仕事はいきなり休むことになる。だから、成功するかわからない、成功しなければ哀れに思われること承知で、会社に説明して休みをもぎ取る。
要冷蔵の注射や、時間厳守の注射、のむと必ず吐き気に苦しむ薬は、どのタイミングでくるか、直前まで完全に予測することはできない。だから友達との海外旅行の計画も、立てることができなくなってしまった。
不妊治療中なの、と説明したりするけど、不妊治療は成功の有無が周囲から見てもわかりやすすぎる。子供が欲しい意思があることをカミングアウトしたのに、まだ子供ができていないことを哀れに思われたくないならば、存在を消して今後その人とは一切かかわらないか、公式に離婚するか、自分が死ぬしか選択肢がない。
たとえば受験とか、努力でなんとかなるならば、それに向けて頑張れる。不妊治療は、結果の明示はしてくれるが、原因を教えてくれるわけではない。よくわからないけどやってみて、うまくいけばそれが正解だが、失敗したのはなぜかわからない。
だからもしかしたら、失敗した方法が正解なのかもしれないし違うかもしれない。ただわかるのは、この方法ではうまくいかなかったことと、自分がきっと動物として欠陥があるという、ただそれだけである。
顕微授精を始めたばかりのころ、受精させた卵子がほぼ育たず、たった一つ普通よりも妊娠可能性が低い卵子だけが残った、と病院で言われたとき、家にかえって大号泣したことがある。
吐き気をこらえて、注射を毎日やって、会社に頭を下げてやった手術の結果がこれか。もう心がポッキリ折れてしまった.
旦那に、つかえるかもしれないものがたった1つはあるのに心折れて号泣するなんて精神力がない、まだ何も始まってないのに泣くなんて情緒の不安定すぎる、離婚も考えたと言われた。
巷の嫁のことは知らないが、私は今まで旦那との結婚生活で生理で不機嫌になったり泣いたりすることはあまりなく比較的情緒が安定している自負があった.そんな私が、いま人生で一番成功させたい不妊治療というプロジェクトの途中で、絶望してたった一晩泣くことも許されないのか、と思ってまた泣いた。それから私は、この不妊治療のことで泣けるのはひとりの時だけになってしまった.
街に出ると、子供連れのカップルをみて、どうしても落ち込んでしまう。泣いている子供を見て、私だったらもっと幸せにできるのにと思ってしまう。
子供は親を選んで生まれるというけれど、自分が選ばれない理由を探してしまう。
家でテレビを見ていると、必死に子育てをする鳥やチーターが映っている。チーターは、生まれた子供の多くは成人まえに死んでしまうらしい.きっと他の動物もそうだ。
でも人間みたいに、少子高齢化問題はない。たくさん産んで、たくさん死んで、生き残ったものが子をたくさん産む。そうやって回っている世界。
何年か前に、東京にミュージカル ライオンキングを見にいった。生きて、産んで、死んで、生まれた子がまた生きて。この世界はサークルオブライフで、私も祖父母が産んだ両親から生まれた。
けれど、私はなにも生み出すことができない。動物も昆虫も植物も、あまりにも生殖のために生きているこの世界で、私の生きる価値は、生きる意味はどこにあるんだろう。
何かを発明したり、なにかを作ったり、自分単体でなにも生み出せなかった人間は、何を根拠に、自分が生きた証を思い出すんだろう。
私は私であって、子供の有無で命の価値は変わらない、生きているだけで人間価値がある、という意見もある。
私は、子供のいない人に価値がないとは全く思っていない。
子供がいない人でも、大好きな人がいっぱいいるし、いなくなられるとものすごく困る。私の価値観を変えてくれた人もたくさんいる。子供の有無で、その人の、私にとっての・社会にとっての価値は変わらないしかけがえがない存在だ。
でも、子供がいない私は、誰かにとってじゃなくて自分にとって、価値がないし意味がないのだ。他の人や社会がどう思っていてもこれは関係がない。
もし私が将来ドラえもんを発明したり、大ヒット作の漫画を生み出したりするなら、この評価は変わるかもしれない。でも、そんな可能性は未来永劫皆無である。子供をうめない私は、私にとって価値がない。
生きている意味がないことを自分で納得してしまったら、もう自分は死ぬしかないのだろう、と思う。でも、死ぬことはとても難しい。
死後の処理をさせられる旦那や、ひとり人員が欠けて引き継ぎに奔走される会社に迷惑がかかるし、両親の生きた証がすこし欠けてしまう。これは、私が誰かにとって意味があるということの証明かもしれない。
でも私のこれは、自分が納得しない自分を、認めることはできないというジレンマだ。今までは、自分に満足していたし、少しの不満も認めることができていた。それでも私は、子供のいない自分だけは、まだ認めることができない。でも、どう頑張っても自分の理想を叶えてあげることができていない。
がんじがらめになったこの先に、何が待っているのだろう。ただ今は、未来に死だけが見える気がして仕方がない。それでも、病院の予約をとるし、秋服を探しに行くし、明日のご飯のことを考える自分がいる。
生きる意味はわからないけど、生きてる価値はわからないけど、それでも生きながらえようとする、自分が本当に不思議で滑稽だと思う。
いつかこの日記を読んで、こんなことがあったなと思える自分がいてほしい。
今はただ、死の淵を覗き込んで、いつ飛び込むべきかを逡巡する自分がいる。
これが正しいのか誤りなのか、私にもわからない。それでも私は、きっとこれから銀のさらの出前を頼むのだ。きっとこれが、世間一般的な、正しい不妊治療中の姿と信じて.