だから私は魔法の絨毯に乗りたいだけ

きまぐれメモリアル/日常エッセイ/それでも私は元気です

クルーズへの憧憬

今年のバレンタインデーは、特別になる。

2023年2月に、ジェームズキャメロン監督、不朽の名作「タイタニック」が3Dリマスター作品として映画館に蘇る、そんな話を聞いて、わたしは確信していた。

何があってもチケットを取らなければならない。なぜなら、タイタニックは私にとって特別な作品だから。

映画自体は、新作ではないためか、1週間ほどの上映スケジュールのうちに、1日1回しか上映されなかった。

ちょうどこの時期は有給も取れず、土日しかあいていない。

しかも2月は第3四半期の決算も終わり、仕事からの開放感から、人と会う予定をめちゃくちゃに詰め込んでいる…

そんなスケジュール帳とにらめっこし、かろうじてとれた席は、朝の9時からはじまる部のほぼ最前列の端っこ、という、おおよそ映画ファンからは倦厭されるところであった。

朝、仕事よりも早起きをして、カップルにもまれながら、商業施設の一番上の階へたった一人で向かう。

いつもの自分では考えられないほどのフットワークであったが、これもひとえにタイタニックのため。

そう、実は私、こう見えても前世でタイタニックの乗客だったのだ。

 

それに気づいたのは、私が高校生のこと。

昔、私がおそらく小学生に入る前あたりのころだろうか、我が家にはタイタニックのビデオテープ、いわゆるVHSがあった。(ビデオテープにするにも長すぎたのか、上巻と下巻に分かれていた気がする。)

それを姉と、実家の応接間でベッドシーン目当てにこっそりみては爆笑していたのがタイタニックと私との現世での出会いである。

当時は本当に、ベッドシーンになんとなく面白さを感じていただけで、ロマンスや恋なんぞ考えたこともなく、明日はかくれんぼでどこに隠れるかだけを考えて生きていた時期である。

タイタニックも、特にストーリーについては何も理解していなく、恋敵となるキャルがどことなく間抜けで面白いと笑っていたことだけ覚えている。

そこからしばらくタイタニックはお笑いビデオとして扱われていたが姉と私との中でタイタニックブームが過ぎゆき、何年も見ることがなくなった。

2度めの出会いは、中学生ごろだっただろうか。

金曜ロードショーだかBSだか知らないが、とりあえずテレビでやっていたか何かで、観る機会があった。

幼少期の私にとってはベッドシーンとキャルが出てくるお笑い映画であったのは前述した通りだが、大人たちにとっては不朽の名作である。リビングのテレビでタイタニックが流れており、わたしも特に興味もなかったがほんの暇つぶしでみることにした。

すると、どうであろうか、成長して理解力や共感力の上がった私には、ギャグ映画から素敵なロマンス映画に変貌していた。

彼氏なんぞ人生でいたこともないが、運命の人ってこんな感じなんだなあ…と思ってみたり。

たた、それ以上に魅入られたのは、客船内のきらびやかな内装や装飾品、そして素敵なドレスに身を包む淑女たち。

船の運命は一旦おいておいて、あんな煌びやかで素敵な空間に、ほんの一瞬でもいいからいることができればなんて素敵なことだろう。死ぬ前にどうかタイタニック号にのりたい。そうすれば私は思い残すこともないかもしれない。

そう、気づけば、私の将来の夢はタイタニック号に乗ることになっていた。

 

ご存知の通りタイタニック号はもう沈没しており、もうタイタニック号にわたしが乗れるチャンスは2度とないことを理解はしつつ、それから何度もタイタニックを見続けた。

金曜ロードショーは、映画のあまりの長さに上下に分かれている。

それでも、船内の様子を一目でも見たくて、タイタニックを見続けた。

そうして気づけば、高校生になっていた。

 

高校生の私も、タイタニックを見ていた。

豪華な内装に、煌びやかな衣装、そして地元には存在しない海の素敵なこと!

こんなにも人生で魅了される映画があるのだろうか?と思って、私は悟ったのだ。

ああ、私は前世でタイタニック号の乗客だったのだ、と。

前世の自分も、煌めく世界に憧れてタイタニック号のチケットを取ったに違いない。

その時友人の中で流行っていたインターネットで数個の質問に答えたらでてくる前世占いで、友人たちの前世はオーストラリアのコアラだったけれども私だけクレオパトラかマリーアントワネットであったということも、私の説を後押しした。

きっと、私も前世ではローズのような貴族として一等客室に乗ったのだ。

そして、もしかしたら船と運命を共にしたのかもしれないし、生き残ったのかもしれない。

ただ、前世の私が怖いめにあったと思ったことはたしかだ。

だって、私は泳げないし水が怖い。そして、なかでも夜の海がとっても怖いのだ。

 

そう悟った時から、タイタニックは一番好きな映画になった。

そして、前世の私に比べて、ローズの貴族らしからぬ大胆さや、ジャックの育ちの悪そうな感じが少し鼻につくようになっていた。

この頃、やっとタイタニックを、船の映画ではなくジャックとローズの人生にフォーカスをあてて見始めたのだろう。

世間がジャック、ひいてはレオナルドディカプリオを王子様だのイケメンと絶賛し、ローズ、ケイトウィンスレットを絶世の美女と賞賛する、そんな風潮に疑問を感じていた。

美醜についてではない。顔面は二人とも美しいに決まっている。

それよりも、ジャックもローズも二人とも、好き勝手生きすぎである。だから私が見ててソワソワするし、ハラハラして心配になってしまう。

誰もが羨むタイタニックに乗れた。ただそれだけでいいではないか。二人とも、もっと落ち着いて、船を楽しんでくれないか。

この時の私がもしもタイタニックの監督だったら、おそらく壮大な「世界の車窓から」のような映画として名を馳せていたに違いない。…興行成績は、ジェームズキャメロン監督には負けるかもしれないが。

 

そこから大学生になり、一人で暮らす所謂貧乏学生、金銭的にもだが文化的にも貧乏な私は金曜ロードショーでしかタイタニックを見なくなった。

2週にわけての放送になるので、続きが気になる消化不良で1週めを終え、先週の余韻がすっかり消えたあとで2週めを迎える。

どのみち感激はするし、泣けるシーンはちゃんと泣ける。

ああやはりタイタニックはいい、と思って金曜は一瞬で終わり、翌日からの週末の予定に心躍らせる。

社会人になった私は、収入は上がれど文化的な貧乏さは学生時代を引き継いでいた。

送料無料が便利すぎるので、アマゾンプライムは契約している。つまり、プライムビデオが観れるのである。

だが、タイタニックは、どうしても会員料金にプラスアルファの課金をしないと見れない。

たかが数百円だったが、されど数百円、わたしの年収のいくらをゆらがすものでもないが、どうしても課金ができなかった。

 

前回の金曜ロードショーからどのくらいたったか…

そんなある日、不意に、タイタニックのリマスター版が上映される、とネットの記事を見かけた。

アマゾンプライムに数百円払うことはできないが、映画館の大きいスクリーンに数千円の課金は余裕、それがアラサー独身女性のリアルである。

ぶつ切りのタイタニックだって一番好きな映画なのだから、映画は是非みに行きたい!という軽い気持ちで、観に行くことを決めた。

 

時はバレンタインデー、世のカップルがこぞってタイタニックを予約している。

冒頭申し上げた通り、なんとも見にくい席で首の痛みとカップルたちから勝手に感じる精神的な圧と闘い、タイタニックを見ていた。

大スクリーンでみる素敵な船内と、素敵なロマンス。

大人になった私は、映画をじっくり見ることで、今まで知り得なかった色々な情報を手に入れることができた。

あの好き勝手生きて、少し粗暴にも見えるほど奔放なローズ。これはなんと彼女が未成年であることの表現、つまり幼さを表したものだった。(金曜ロードショーでは、彼女の年齢についての言及はカットされていたのかもしれないし、私がキャッチアップできていなかったのかもしれない)

また同じく、ローズとは違う世界線で生きており、彼女や観客を魅了してやまないジャックも相当若者であったこと。(一般的に男性は女性よりも精神年齢が低いというが、ジャックは苦労してきたから?か、かなり大人っぽく包容力も感じる。そのあたりが、世の女性の庇護されたい欲求を掻き立てて王子様と揶揄されたのだろう。)

彼と彼女の間には、当時ではどうあがいても一緒になれない家庭の事情や社会の事情があったこと。

ローズや貴族たちに比べ、明らかに貧しいジャックは、それでも自分自身に誇りを持ち、自分の人生を愛していること、そしてローズの人生の欲求と家庭との葛藤のこと…

 

ああこれは、タイタニック号がいかに沈んだか、いかに豪奢であったかというドキュメンタリーではなく、ジャックとローズの恋模様を描いたロマンス映画だったのだと、わたしはやっと初めて気づいた。

そして、あえなく沈むシーンはサスペンス映画。

そんなさまざまな技法が組み合わさったものがタイタニックだった。

 

そして、もう一つ、ひどく悲しいことがあった。

それは、昔から私を魅了し続けてきたタイタニック号に、昔ほど心が踊らなくなっていた自分に気づいた時だった。

この前ディズニーシーでご飯を食べたところに似ているなあ、とか、友達の結婚式の会場に似ているなあ、とか、

そういう似ているものにこの28年ほどの人生で、たくさん触れてしまったせいで、私のタイタニックへの感覚は、衝動は、感激は、麻痺してしまった!

これは、ジャックとローズの悲恋の行方よりも何よりも、一番衝撃的なことだった。

心躍らなくなってしまった私の前世は、もうタイタニック号の乗客ではないかもしれない。そうなると、私はただの泳げないアラサーである。それ以上でも以下でもない。

 

子供の時の私の心は、一体どこへ行ってしまったのだろう?

タイタニックへの渇望は、一体何に昇華されたのだろう?

そう、私は28歳にして、急に人生の目標を失ってしまった。私は何のために生きているのだろうか?

虚無感に襲われる。社会人になり、お金を必死で稼いでも、私は何に使えばいいのだろう。

大人になるというのは、子供のころ持っていた大切なものを失うということなのだと、初めて気がついた。

 

人が大人になるタイミングはたくさんあるはずだが、私は16歳ごろから精神的には変わっていない、と思っていた。映画タイタニック 3Dリマスター版を28歳で見るまでは。

タイタニック号へ乗りたいという、泣きたくなるほどの憧憬がなくなったこと。これが私の、成長であり、大人になったということだったということに、私はようやく気がついた。

 

私の中で、タイタニック号は、似た場所に行ったことがある、というある種見慣れた景色に成り下がった。

それでも、ジャックとローズのロマンスと、沈む船に対峙するサスペンス、そして色々な立場の人々のプライドと葛藤。タイタニックの好きな箇所は180度変わった。

でも、つまりは、タイタニックという映画が好きなことは、大人になってもずっと変わらない。

これが、私が大人になったあとで下した結論であった。