だから私は魔法の絨毯に乗りたいだけ

きまぐれメモリアル/日常エッセイ/それでも私は元気です

西の魔女が死んだ

先日、私の祖母が亡くなった。

88歳のことだった。

生まれてからずっと彼女と暮らしてきて、大学や社会人で一人暮らしをしてからも、ことあるごとに彼女のことを思っていた。

どこか旅行に行けば彼女のためのお土産を探したり、食が細いと聞いて泣きながら家に帰ったこともある。

家族のことはみんな好きだけれど、もしかしたら彼女が一番私の人生に影響を与えていたと思う。 悩み事があれば彼女によく相談していたし、私の人生を左右することだって、彼女の意見に従おうと思ったことは何度もある。

私の人生はこれからも長くて、いろいろなことが起きるかもしれないけれど、これからもきっと一番大切な存在になっていると思う。

だからきっと今回のことも、私の長いであろう人生で一番辛いことだった。

もう1ヶ月以上経ったと思う。それでも、いまだって号泣しながらこの文章を書いているくらい、どうしようもない辛い出来事だった。

 

亡くなった当日は、親からおばあちゃんが苦しそうだから帰ってきてと連絡があった。

私は意味が咀嚼できなくて、でもとんでもないことになってる気がして、号泣しながら着替えた。できるだけ派手な服で行かないとおばあちゃんが私を認識できないかもしれないから、真緑のブラウスと銀色のスカートを急いで履いた。

台風の予報だったから、電車が動いているうちに帰らなきゃ。 実家が田舎だから、電車の乗り継ぎに30分かかることもあるけど、割とスッと乗り換えができたのは幸いだった。

それでも2時間弱電車に揺られて、私は最寄駅からタクシーで実家まで乗りつけた。

実家ではなんだかざわざわしていて、看護師さんが外で誰かに電話しているところが見えた。

私のおばあちゃんがまさか死ぬわけないと思ってたけど、看護師さんの姿を見てなぜか心がざわついた。

実家についておばあちゃんの部屋に入ったら、目が半開きで、口を大きく開けて苦しそうな顔で、微動だにしないおばあちゃんがベッドに転がっていた。

大きく開けた口のせいでほおがこけたように見えるし、顔色も少し灰色のように見えたが、鼻にはよくドラマで見る酸素供給のチューブがつながっている。酸素の機械も音を立てていた。腕には点滴も刺さっている。

どういう状況なんだろう、と疑問に思った。

母親が、私の顔を見た瞬間悲痛な顔で謝ってくる。あ、これ、愛犬が亡くなったことを私に伝えた時にした顔、いった台詞だ。そう気づいて、ああ、おばあちゃんは死んでしまったのかなあと思った。

涙は出たけれども、混乱という方が強かったかもしれない。死んでしまった人と接したことがなかったから、どうすればいいかわからなかったけれど、父親から手を握ってあげてと言われたから、手を握った。止まらない涙で袖の色が変わる自分の真緑の服をみながら、人が亡くなったのになんて派手な服を着てきてしまったんだ、と常識的なことも考えていた。今日履いてるこのスカートは派手すぎておばあちゃんが嫌いだったな、と思い出して、少し後悔した。

混乱してるが、集まってくる親族たちに囲まれて、笑顔で彼女の顔をお化粧して、写真も笑顔でツーショットを撮ってもらったりした。

おばあちゃんは死んでしまったけれど、業者の方が丁寧に語りかけながら生きているみたいに、テキパキと体を拭いたり、口を閉じたりしてくれた。

私がお化粧してあげたから、まるで生きてるみたいに見えるとみんなに言われて、なんだかとても嬉しかった。

みんな忙しそうだったけれど、私にはおばあちゃんのそばにいてできるだけお線香をあげ続けるというミッションが課されたので、二人きりの部屋でぼーっとおばあちゃんの遺体を見つめるだけの時間が何時間もあった。

確かに生きてるみたいだったから、顔を見るだけで、とっても安心したのを覚えている。

幽霊は怖いし死体なんてもってのほかだが、死んだ後のおばあちゃんといるのは何も怖くなかった。おばあちゃんの顔を見ている間だけ、わたしの気持ちは凪いだ。

夜になって、お葬式の日が決まった。金曜日に亡くなって、お葬式は日曜日。

夏だが死体が腐らないようにドライアイスを体に置かれているが、お葬式が終わったら法律に則って燃やされてしまうらしい。

日曜日までは顔が見られるという安堵と、日曜日までに生き返らないと燃やされてしまうことの強い不安があった。

私も不安で顔を見ていたいが、燃やされたらもう本格的に生き返れない気がする。

どこか遠い外国で、火葬直前に生き返った人のことを思い出した。そこから、おばあちゃんを燃やさないために何ができるかを考えた。

いろんな人に燃やさないで剥製にして欲しいと打診したが、法律で決まっているからダメだと言われた。おばあちゃんも、燃やされないでずっと剥製でいるのはとても辛いことだから、と。

燃やさないでというお願いが効かないことがわかって、私は何度も二人でいる時におばあちゃんにお願いした。

早く生き返らないと燃やされちゃうから頑張って生き返ってや、燃やされちゃったらもう本当に死んでしまうんやで、と。泣きながら説明したけれども、結局燃やされるまでずっと、彼女は目を覚ますことはなかった。

亡くなって数日間は、朝起きるたびに悪い夢だったのではないか?と思った。夢ならばどれほどよかったでしょう、と米津玄師は歌ってたけど、私も同じ気持ちになるなんて知らなかった。

仏間にある観音さまが迎えにきているようなイラストの掛け軸や、お盆に際して飾られている先祖の写真が、とんでもなく憎かった。そういえば祖母はよく仏壇で、亡くなった祖父に、はやく迎えにきて、と頼んでいた。じゃあきっと、この先祖たちが何かしたに違いない、この先祖たちが何もしなければ、迎えに来なければ、おばあちゃんは今も生きていたのに、と思って、泣きながら睨みつけた。

おばあちゃんは生きてるみたいなのに1日経っても2日経っても顔が変わらなくて動いている気配がなくて、どうしようもなくて、とりあえず何かしなきゃ、と思っておばあちゃんの部屋でAI英会話をした。AIが、How are you doing today?と聞いてくるから、辛いことがあったから言いたくない、聞かないでほしい、と何度も回答した。じゃあ英会話やるなよ、とAIも困っていたと思う。

 

私の何が悪かったかなあ、と思った。

神社に行くたびに、おばあちゃんの健康を祈ってたけど、最近はちょっとさぼって家族の健康、ってぼんやりしたお願いになってたからかな。

悪口や愚痴を言ったり聞いたりしてたからかな。

ここ何年も、お盆にお墓参りしてないからかも。

いろんな反省点が頭を駆け巡った。

もう少しで結婚式をあげてるはずで、写真だって見せれたのになあ。

おばあちゃんは不死身だって思ってたから、最近元気なかったけど、また涼しくなるにつれて回復するやろと思ってたなあ。

生き物はご飯を食べなくなると死が近いって本当だったんだな、そういえば愛犬もそうだったな…

 

色々考えるうちに、私、おばあちゃんにちゃんと言いたいこと言えてないと気づいた。

たとえば、おばあちゃんに感謝するとか、おこづかいをもらった時しかしてなかったかも。

死んだ人に気持ちを伝えるにはどうしたらいいんだろう?死んだ人って今何をしてるんだろう?

考えてもわからないから、Yahoo!知恵袋で調べると、死んでからもあなたのことを見守ってますよ、手紙を書いたらそれだってみてるかも、という回答が一つあった。

よくわからないけど、自分の体のまわりでふわふわ漂ってるのかも。

じゃあ、ベタだけど、手紙を書こう、と思った。おばあちゃんの体の近くで、おばあちゃんの便箋とペンを使って手紙を書くことにした。最悪棺桶の中で燃えて読めなくても、いま書いてるところをのぞいて読んでくれたらいいや。

内容は、まず今まで感謝してること。

賢い人だったから、ボケたりするのを怖がっていたけれど、結局死ぬまでしっかりした人だった。

私のことも、誰のことも忘れなかったし、最後まで意思が強い素敵な人だった。

私は、おばあちゃんが痴呆で私のことも忘れたら悲しいと思っていたけど、そんなことなくずっと覚えていてくれたことを感謝してることを書いた。

そして今までたくさん助けてくれたり、大切にしてくれたことの感謝。

そして私だけじゃない、たくさんの人がおばあちゃんを慕って、自慢に思っていること。

そして、これからおばあちゃんという羅針盤がいなくなって、これからどう生きればいいかわからないから困る、どうしたらいいかわからないと伝えた。

でもきっと、自分の意思決定の傾向や性格の中に、おばあちゃんの片鱗があること、それを信じて頑張るから私も死んだらその節はよろしくと書いた。

あとは、私が素敵なところに行った時、美味しいご飯を食べた時、呼び出すからどうかきて欲しいと。

あとは、おばあちゃんが死んでからも元気にしているかとても不安だから、たまには心霊写真でもいいから姿が見たいともお願いした。

 

棺桶の中のおばあちゃん。いとこのおっちゃんがおばあちゃんの手に、それを握らせてくれた。

封筒に封はしてないけど、燃える前に読めるのかな…不安だけど、大切なことを書いたからどうか読んでほしい。読者はおばあちゃんと私だけの手紙。

 

私は、私の大きめの鼻が好き。おばあちゃんに似ているから。

文章を書くのが好きなところも好き。おばあちゃんに似ているから。

すらっとしている身長も、大きな目も、おばあちゃんに褒めてもらったから好き。

癖毛も、おばあちゃんと同じだから大事にしたい。

海外旅行が好きなところも、あんまり物怖じしないところも、おばあちゃんに似てて素敵。

泣き虫なところや、うじうじするところは、おばあちゃんに怒られるから直さなきゃ。

これから、大切な人を亡くして、どう生きるのかとっても不安だけど、

私を含め、人間は、きっとみんな大切な人からもらったもので出来ていると思っている。

それはきっと両親からもらったもので、友達からもらったもので、旦那からもらったもので、おばあちゃんからもらったものだ。

優しさや愛、鼓舞や苛立ち、悲しみまで、いろんなものを感じて、かかえて、生きている。

誰かと離れることは寂しい。おばあちゃんと離れたこともものすごく。

けど、きっと、歳をとった人から死んでいく、そんな命の順番を守ることは、お互いにとってとても大切なことだったと思う。

命の順番が来るまでは、一人になってしまっても、自分の中の大切な人に似ているところを抱きしめて、これから生きていくしかない。

 

だから私も、おばあちゃんが死んでしまってとても困っているけれど、命の順番を守ってから死ぬことに決めた。

そして、順番が来た時は、おばあちゃんに迎えにきてもらうんだ。

死んだ後の世界ってどんなところかわからないけど、現実世界より何倍も時間が早くすぎていったらいいなあ。

おばあちゃんが寂しく思ったり天国に飽きるより先に、どうか私も辿り着きたい。

そしてたまには、私のことを覗いてほしい。できるだけ新鮮なことをして、アクティブに生きて、覗いているおばあちゃんも楽しいといいな。

私も年老いて、死んで、いつかまた会えたその時は、私のことを貶しても、褒めても、もうなんでもいい。どうでもいい。

私の愛したあの笑顔で、元気な姿でこちらを見つめてくれさえすれば、それ以上もう何もいらない。

 

だから私は、125歳まで生きることに決めた。