だから私は魔法の絨毯に乗りたいだけ

きまぐれメモリアル/日常エッセイ/それでも私は元気です

閃光少女

私は、初めての経験をしていた。

そう、つまりは、彼氏と同棲を始めたのだ!しかも、結婚前提で。

プロポーズや顔合わせはとっくに済ませ、元々決めていた家族や友人との海外旅行の予定もサクサクこなし、そろそろ長袖の季節かな?と思ったころ、私は一人暮らしの家から抜け出すために母と荷物をまとめていた。

思えば一人暮らしも10年ほどになるだろうか。

手作りカレーを腐らせたり、揚げパスタを作ろうとして発火したり、足の踏み場もない床で、何かの部品を踏みしめて足に激痛が走ったり……

おおよそ人と暮らすことに向いていない自分が、まさか誰かと暮らす日が来るなんて!!

料理も掃除も洗濯も、文化的な生活は無理だが人がギリギリ生きられるくらいだけをしてきた人生。

生活能力はあまりないけれど、なぜか二人暮らしだったら家事ができる…そう思って、胸をときめかせて同棲するマンションへ足を踏み入れた。思えば、そこが地獄の一丁目……は言い過ぎだが、スラム街の一丁目ぐらいには精神が安定しない日々の始まりだった。

 

同棲後、1ヶ月で籍を入れる予定だった。

それが崩れ始めたのは同棲2週間目、在宅勤務中。

わたしは部署が変わりたてで右往左往していた上に、会社の研修に追われていた。

一人では何もこなせなくて自己肯定感が下がっている辛い時期に、人を指揮するリーダーとしての研修を受けさせる会社のセンスの無さに絶望しながら、研修の5分休憩に必死でメールを返したりトイレに行ったりする。お昼休みは当然研修中たまったメールを返す作業で、ご飯を食べる暇もなく、冷蔵庫のみかんを片手にキーボードをひたすらうつ。

そして研修が終了したら人に電話をしなければならないし、そうこうしていると脱毛サロンの予約時間がきてしまうし……

そうすると、みかんの皮と仕事の汚い殴り書きのメモ、そしてみかんの汁とびちるPCがそのまま放置された汚い机が残されたまま、私は着の身着のまま脱毛サロンへと向かった。まあ、彼が帰宅するまでに片付ければなんてことない…そんな軽い気持ちで足取りは軽かった。

脱毛終了後、お姉さんの前でさらけ出した全身をホットタオルでふいて帰宅の準備をしていたころ、彼から運命のラインが来たのだ。部屋が汚い、婚約破棄😢、と。

婚約破棄………わたしは、厳しい言葉に相当ドキドキしていた。これは、なんのドキドキだろう…わからない、焦りなのか混乱なのか、または悲しみなのか。

婚約破棄か…本当にそうなら、これからどういうステップをふむのだろうか?顔合わせもしてしまったし、とりあえず挨拶に行くのかな……と、

親の顔や義両親の顔、さらには婚約したとカミングアウトした友達の顔がぐるぐる脳内を回る。

だが私のハートはキラキラマインド、つまりスーパーポジティブウーマン。このメッセージも言葉こそ厳しいが、少し絵文字も使ってきている。彼の元々暮らしていた部屋も、まあ清潔ではあったが異様なほど整った部屋ではなかった。つまり、わたしの悪行にも多少不快になっているとはいえ、婚約破棄などというほどのことはないのでは?と、

そう思うとこんな些細な感情の機微で、冗談でも婚約破棄なんて強い言葉を使って私の感情も揺さぶろうとするなんて酷いことだ!生理も遅れているし、私にだって彼との暮らしは多かれ少なかれストレスになっている、お互いに歩み寄らないといけない時期になんていうことをしたのだ!と、わたしはドキドキを全て怒りの感情に変換していた。

同棲ははじめが肝心だという、許してはいけないこんなことを……

そう勇んで帰ったわたしを待っていたのは、静かに激怒している彼氏の姿であった。

いつもの表情とも声とも違う、一目見たら分かってしまった、彼は本気だ……そう思った。

とりあえず謝って机を片付けた。

だが、私は、自分の何が過失なのかよくわからなかった。

だって、いま机を片付けて綺麗になったら、当時部屋が汚かったことってなかったことと一緒じゃん!当時片付けても、今片付けても、机が汚かったが綺麗になったという結論は結局変わらない。それより、汚す都度片付けるより、たとえば1日の最後、汚れきった後に片付ける方が早いし手間がない、それこそが賢い掃除のやり方だ!!別にみかんの皮が机にあっても、腐って臭うとか、カビの胞子が飛ぶとかまでは無害なのだから、人体に有害な何かがでてきて片付ける方が早いし掃除する理由として理にかなっている。

私は真剣にそう思っていた(名誉のために言うと、今はとうに改心済みである。今思うと恐ろしい理屈である)。

だが、この世界に生まれて28年で、そんな理論はズボラの屁理屈として片付けられることも、よく理解できていた。

この世は綺麗好きでいつもきっちりしている、そんな人間はいくら世界を斜に構えていても正義だし、ズボラで酒に呑まれる人間はいくら性根が優しくて素直でも悪である。

お前はあまりに短絡的だ。目先の快楽を追い求めすぎるあまりに、将来の自分のために何かやっておこう、という精神がまるでない。その将来が、ほんの少しの未来であっても後回しにする、そんな人間を大人とは呼ばない。

彼にそう諭され、私はぐうの音も出なかった。翌日早起きの予定があっても泥酔するまで飲むし、仕事が残っていても誘われたら遊びに行ってしまう。だって、人生は楽しんだもの勝ち。何があっても未来の自分がなんとかするんだから。

…まあ確かに、短絡的かもしれない。おっしゃる通りである。

私だって言い分はあった。帰ってから片付けようと思っていた、とか、仕事が忙しくてそれどころじゃなかった、とか、脱毛サロンはキャンセル料がかかる、とか。

でも、どれもすべて、私が短絡的であるということに対する反論にはならなかった。

「一日一生」とは、今日1日を一生懸命生きること、仏教の教えらしい。

わたしの愛する椎名林檎の閃光少女では、「今日いまを最高値で通過して行こうよ…私は今しか知らない」と歌っている。

これ以外にもきっと、今この一瞬を大事にしよう、という言葉や歌はたくさんある。

わたしは、今を楽しく生きる、そんな自分でしか見れない景色も絶対あると思う。

でも、お寺の床にはゴミは落ちていないし、椎名林檎の部屋のテーブルはきっと綺麗だ。

もしかして、今一瞬を大事に楽しく生きることと、部屋の掃除を後回しにすることには、さほど相関性がないのかもしれない…

それが、今のわたしの結論だ。

 

わたしは今、改心して片付けや掃除をちゃんとしている。

あれほど時間が取られると思っていた掃除も、普段から使った場所を元通りに片付ける習慣をつけたら、一瞬で終わるようになった。

明日も楽しく生きるために、1日の終わりに筋トレをしたり、少し勉強したりしている。

時に、これぐらいいいか…というズボラが現れそうになったら、私はじっと大好きな椎名林檎と、彼女の綺麗でオシャレな部屋を妄想する。

きっと私は、片付けをしたって今この一瞬を大事に生きる、そんな丁寧だけれどロックな女になるのだ…と、今日もわたしは何度も布巾に手を伸ばすのだ。