Nostalgia

きまぐれメモリアル/日常エッセイ/ドラマティックあげるよ

ウミガメ考〜本能〜

ーーーこんな思いをするくらいなら、いっそ死ねたらいいのにーーー

 

しがないオフィスで、音姫を鳴らしながら必死で神に祈るわたしは、はたから見ると滑稽なのだろう。

そういえば、昔読んだ漫画に、女子トイレには必ず男性の浮遊霊がいると書いてあったが、20代中盤社会人女性のトイレ姿も覗いてくれるのだろうか。

そんなことを考えながら、祈っても祈っても救われない、そんな思いに嫌気がさし、ついに死を考えるほど追い詰められた状況。

生とは?死とは?そんな概念を考える間も無く、ただ浮世を漂うちっぽけな自分の大きな戦い。

一体わたしが何をしたのか?悪いことでもしたか?神は、運命はわたしをどうしたいのか??

そんな命題に行き当たったのは、つい最近のことだ。

 

そう、わたし、ウンチが出なかった。

 

ただ出ないのならまあ仕方がない。

いつでも出せますぜという信号が肛門から送られてきている、それなのに出ないのだ。

 

文章にするとなんてことない。お昼休みの話のネタにすらならないようなことかもしれない。

けれど、本能に従って力を入れて、なかなか放出の快感がこない苦しみは、生殺しというか、生き埋めというか、据え膳食わぬはというか、、形容しがたい苦しみなのだ。

 

ウンチはしないと死ぬ。そんなことは常識だ。

ウンチがしたくなるのは生理的現象、すなわち本能で、出たら快感なのもきっと本能。死なないようにプログラムされているのだ。

 

人間も、突き詰めたら動物。お腹がすくのも眠たくなるのも、すべて生命活動を維持させようとする本能によるものだ。

 

だが、ああなんたること!

こんなに本能に従って、頑張っても、頑張っても、一向に報われない!!!!

5ミリぐらいは出ている気がして、ペーパーで拭くと何もつかなくて。

そのまま執務室に戻るのもお尻が気色悪いし、便意があるまま仕事の続行はしたくない。

ジャンプしてもきばっても緩めても何をしても入り口付近から動かない。

わたしが一体何をしたの?わたしになにを期待しているの??どうして私だけ苦しんでいるの???

 

その日は結局気色悪いままパソコンとにらめっこし、帰路に着いた。

 

帰路に着いてトイレにこもっても、なにをしても出てこない。

検索ワードも、

 

うんち 出ない なぜ

うんち 出したい 出ない

排便 できない どうなる

うんち 出ない 死ぬ

 

と、だんだんとネガティブに染まっていく一方。

 

調べてわかったことは、とりあえず、うんちが出ないと死ぬのだ。なんか、腸とかが爆破してみたいな感じで。

じゃあ、この肛門の気色悪さと解消できない便意を持ったまま死ぬのだな。

明らかに肛門出口付近にうんちがあるのに糞詰まりで死んだ私をみんなは何と思うだろう。

本能に抗ったように見えるのかな。ただ本能が私を助けてくれなかっただけなのに。

このまま、もう素敵な世界を見ることも、空飛ぶ絨毯に乗ることも、タイタニックに乗ることも美味しいご飯を食べることも、洞窟もジャングルも探検することもなく、糞詰まりという不名誉な死因であっけなくこの広くて未知なる世界から去っていかなければならないのだ。

 

そう思うと悲しくて悲しくて、社会人になって愛犬が死んでしまった以来、はじめて泣いてしまった。

 

数億決算処理を間違えて上司に怒られても泣かなかった。

知らない部長にキツく当たられても泣かなかった。

なにをしたって泣かなかった私が、ついに本能には逆らえなかった。だから泣いた。

その時の涙は、ドラマみたいな綺麗なものではなく、もう動物に近かった。本能に助けてもらえなかった私を、最後に動物に戻してくれた。これは世界の唯一の慈悲なのだと感じた。

 

おいおいと泣いたあとで、サランラップに包んで保管していた亡くなった飼い犬の毛をそっとなぞった。まだ死ぬまでに日にちはあるはずだから辛いけれど精一杯頑張ろうと思った。幸運にも悲劇のヒロインになったことがなかった私を、ポジティブなミュージカル女優にしてくれた犬なりの慈悲を噛み締めてまた泣いた。

 

結構泣いたので、とりあえず最後の晩餐に外の自販機で三ツ矢サイダー十六茶を買って飲んだ。その日はお風呂にも入らず歯磨きもせず寝てしまったらしい。

 

翌日は、死期が迫っているとわかっても出社を止められなかった。朝から違和感を連れて仕事をして、食欲もないまま食事。

お昼はアジフライだったように記憶している。

食堂のおばちゃんが顔パスでご飯を大盛りにしてくれ、食欲もあまりなかったが愛想笑いのままとりあえず口に運んだ。

 

2時ごろ、転機が訪れた。なんだか今までとは違った種類の便意を感じたのだ。

ロケット鉛筆押し出し理論で、食べたから出るのではという可能性が脳裏に浮かんだ。そこから先は、自分の命のために、まだ見ぬ絶景のために、将来の結婚相手と子供のために、トイレに立ち上がり颯爽と向かった。

あの時の私はきっとなによりも凛々しく何よりも力強く何よりも美しかったはずだ。

 

いつもより早足で個室へ入る。ドアが閉まり、鍵のかけられた音が静かなトイレ内で大きく響いた。

勝負の時がきた、と思った。今まで吹奏楽やダンスなど、自分の技術を極めることはあっても、何かと張り合うことは人生ではじめてだった。人生を左右する戦いに挑む、そんな崖っぷちのカイジみたいな気持ちは、今でもありありと思い出せる。

すう、と息を吸い込みスカートをたくし上げタイツを下げる。USJで買ったスパイダーマンのパンツが極彩色を放っている。この時のパンツは紛れもなく人生で一番鮮やかなピンク色だった。

 

もう外聞なんてどうでもいい。音姫もつけず、一心不乱に肛門と向き合った。しんどくて辛くて、内臓が全て出てきそうな錯覚に陥る。助けてほしいが頼れるものは己の体のみ。神への祈りも捧げる余裕もなく、必死で力を込める。昨日よりも強く、凛々しい自分がそこにいた。

 

くる、と思った。

これ、と思った。

そう思うと、激痛が尻を襲った。

硬い何かが肛門から1センチ排出されている気がした。

出てくるにはまだまだだが、昨日より5ミリは出ている。このまま油断して緩めてはいけないが、本当に痛くて痛くてたまらなかった。トイレで感じた痛み部門で、人生で一番だった。

出そうだが痛くてたまらない、このまま進むも退くも地獄とはこのことだった。

大声で叫んで誰か来てもらう?救急車をよぶ?いや、そもそも今後の人生で、この痛みを我慢する価値があるのか?

いろいろなことを考えたが、もう進むしかない。やらない後悔よりやった後悔。

 

ふんぬーーーー!!!!という声が自然と口から漏れたのは、後にも先にもこの時だけだろう。

 

大きく息を吸い、静かに吐き出す。

音のない静かなトイレ内で、私は久しぶりのすっきりした感覚に包まれていた。

言葉で言い表せないほどの達成感の波と、少しの安堵。そして更に少しの尻の痛みに包まれながら、しばらくぼーっとしていた。

目尻に溜まる戦いの結晶。涙を拭いながら私はウミガメの産卵を思い出していた。

 

 

こんなに辛い思いをして、苦しい思いをして、生きる意味はどこにあるのか?

そう考える人はとても多いと思う。

だから自ら死を選ぶ人もいるし、生に対する欲がない人もいる。

確かに、生きる意味を考えるのはとても難しい。

例えば客観的な生きる価値を考えた時に、ノーベル賞とか何かを開発するとか、そんな偉業を遺す人生を歩める人はそうそういない。

だから、動物に立ち返って考える。

ショッピングも出来ないし映画も見れない、生麩田楽も食べれないウミガメが泣きながらでも出産するのは、種の存続のため。

人が生まれるのは種の存続の結果であり目的である。

わたしは人間の生死感はそれぞれの幸福追求に依存していて、幸福追求権を持つ以上自分を煮るなり焼くなり自由にするべきだと思ってきた。

けれど、この経験を通じて、この古代から紡がれてきた命に対して少しだけでいいから責任感を持つべきであると感じた。

直近でいうと、親が泣きながら紡いでくれたこの命、せっかく世界を使い果たす権利があるなら、可能な限り使い込んでから投げ捨てても遅くはない、気がする。

もちろん、自由意志で生きる人間なら誰しも、命の選択はそれなりに可能だ。

でも、歴史に残るような偉業が残せないなら、せめて自然とくる寿命まで一つの種のごく一部として生態系を構成すること、それがヒトとしての生きる価値だと思う。

 

 

そんなことを考えながら、レバーを引いた。

ごく小さな茶色い塊がすっと吸われて、あとは白い便器が残るのみだった。

とりあえずわたしは生にしがみつく。

本能のまま、運命のまま。

 

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