だから私は魔法の絨毯に乗りたいだけ

きまぐれメモリアル/日常エッセイ/それでも私は元気です

ヨイトマケ考

 

ヨイトマケの唄

ヨイトマケの唄

 

 

――――父ちゃんのためならエンヤコラ、母ちゃんのためならエンヤコラ、子供のためならエンヤコラ―――――

 

生粋のおばあちゃんっ子であった私は、おばあちゃんとずっと一緒だった。

だからおばあちゃんの大好きなSMAPのキムタクにも、徳永英明にも親しみを持っていたし、おばあちゃんの嫌いな猫は私も苦手で、またおばあちゃんが蛇と蜘蛛を仏様の生まれ変わりだというと私も精一杯大切にした。

おばあちゃんは表情豊かな人だ。怒るときは怒るし、かといって笑う時はとことん涙がでるほど笑うような、そんな人である。

おかげで私も感情表現がストレートに育った。だか気に入らないことがあるとすぐに泣いてしまう、いわゆる「泣き虫」だった私に、おばあちゃんは「そんなにすぐ泣くな、涙の安売りはするもんじゃない」とよく怒られたものだった。

確かに、おばあちゃんが悔しくて泣いている姿は見たことがない。

ただ、そんなおばあちゃんが唯一涙を流すもの。それは、三輪明宏さんの歌う「ヨイトマケの唄」を聞いているときだった。

 

おばあちゃんがまだ小さいころおばあちゃんのお父さんが戦死してしまい、お母さんと祖父母により育てられたおばあちゃん。確かに、お母さんが家計の大黒柱として働いていたということは想像に難くない。

母が身を削って、家族のために働いている姿を歌い上げたヨイトマケの唄は、どこか祖母の記憶とかぶるところがあるのだろう。

勇敢な父、大胆だった祖父、自分を大切にしてくれた祖母、そして強かった母。ヨイトマケの唄を聞きながら家族のことを語るおばあちゃんは懐かしそうで切なげで、そして自慢げでもあった。

私はそれをどこか物語のように聞いていた。

肉親との別れも未だ体験したこともなく、働いたこともない私は、父の戦死と対面したおばあちゃんの心情や、家族を支えた母に対する尊敬の念をしっかりと汲むことができなかったのだ。

いつか大人になったら分かるのかもしれないけれど、おばあちゃんに共感したい気持ちと、分かるのが怖い気持ちがまじりあった不思議な感覚であった。

ただ、なんとなく、きっとこれから私にも誰かとの別れが訪れるだろう。また、だれかを支えるために労働しなければならないときが来るのであろう。そのような漠然としたイメージと一欠けらの覚悟を自分の中に感じてはいた。

 

 

そんな子供も遂に大学生になり、アルバイトを始めた。

個人営業のこじんまりした居酒屋で、あまりハードではないけれどおじさんの下品な話をニコニコしながら聞き続ける日々に、確かに働くことは大変だなあとボンヤリと感じていた。

そして最近、社会人になるまでにいろいろな経験をしてみたいとの思いから、派遣に登録し、飲食以外のバイトに挑戦することにした。

そして、ひとまず工場バイトにたどり着いた。

 

もともと折り紙などの単純な作業は、割と没頭できるタイプであったから、きっと工場も向いているだろうと思っていた。

単純な作業を9時間行い続けること、それに飽きてはしまわないかと不安にはなったけれど、飽きたらまあ誰かとおしゃべりして楽しく過ごそうと思って、むしろワクワクしながら職場へ向かった。

いざ着いてみてもきれいな施設であるし同じ年頃の女の子もたくさんいるし、楽しそうだなあ、何を話そうかと考えながら、工場のバイトが始まった。

 

ところが仕事となると、全員が猛スピードであった。商品を猛スピードで束ねる人、段ボールに詰める人、そして重いダンボールを自分の背の高さほどまで積む人。

仕事が早いと居酒屋で持て囃されていた私は仕事の速さに自信があったが私なんかが太刀打ちできるレベルではないと感じて絶望した。

これから何回商品に触れば9時間が終わる?段ボールを何箱見れば家に帰れる?いろいろな回数を脳内で計算していくと、人生で初めて「永遠」を感じていた。

 

結局、私は流れてくる商品を一定数束ねてゆく仕事に割り当てられた。

単純作業、といえばその通りだ。さっきから手は同じような動きしかしていない。

だが、自分のキャパシティを増やし、効率化するためにどのような動きをすれば最短距離で束ねられるのか、どの指をどう動かせば自分の掌の痛みが和らぐのか、そんなことを常に考えている。つまり、体を使うことはもちろん、

頭もフル回転なのだ。このベルトコンベアはあのプリンの色と一緒だなあとか手で無理やり止めたらどんな動きをするのかなあとか考えることはおろか、次々流れてくる商品に書いてある文字を読むだけでも手元が狂ってしまう。

つまり、尋常ではない集中力が試されるのだ。

自分がつまれば全員の円滑な仕事を阻害することになる。だからその限られた時間の中で素早くかつ丁寧に、ミスなく正確に作業を行わなくてはならないプレッシャーと闘いつつ、何も考えないように、かついろいろ考えながら真剣に取り組んだ9時間。

今までの、一日1組しか来ないような居酒屋でのアルバイトがいかにぬるま湯であったかを痛感した。1時間900円を得ることに対する自分の責任を実感した。悲鳴をあげる自分の足腰と掌、にじんでくる汗を感じながら働くってこんなにも大変なのかと衝撃を受けた。

 

ああ、思えば、私が来春から働く会社で製造をしてくれる人たちの仕事もこんな感じなのではないか。

メーカーである以上、私がクーラーのきいたオフィスで電卓を弄繰り回している間だって、商品を精一杯作ったり、梱包したりしてくれる人は必ずいるはずだ。理屈では理解していたつもりだったが、私は商品は機械が勝手に作って勝手に梱包して勝手に営業の手に届けてくれると考えていたのではあるまいか。

私の会社だけじゃない。私が着てる服だって、携帯だって、住んでいる家だって、食べているものだって、見えないけれど、「作った」人がいるはずだ。

今まで、そんな人たちのことを理屈では理解していても、一瞬だって本当に考えたことはなかったのではあるまいか。

 

「当然の暮らし」って、こうやって人が体を痛めながら心を砕きながら作ってたんだなあ。社会って凄い。偉大。社会の歯車なんてよく言ったもので、確かに一人が欠けても世界は回るけれど、その一人は確実に社会に貢献しているわけで。「御社を通じ社会に貢献したい」なんて就活で言いまくったものだけれど、こんな前日の思い付きで来たアルバイトだって確実に社会に貢献しているのだから、言うだけ無意味だったかなあ。

 

――――父ちゃんのためならエンヤコラ、母ちゃんのためならエンヤコラ、子供のためならエンヤコラ―――――

 

誰よりもテキパキと、小さな体でせっせとダンボールに商品を詰めている、正面にいたおばちゃんを見つめていると、急に幼少期おばあちゃんと聞いたヨイトマケの唄を思い出した。

きっと、社会人全員がヨイトマケなのだろう。世界中の「母ちゃん(男性含む)」、いつもいつもありがとう。

 

 

そんなことを考えている今だからこそ、サラリーマンに足を踏まれたことも、舌打ちされたことも、全て許せる気がする。だから、そのあと仕返しにかるーく鞄ぶつけたこと、どうか許してください。ごめんなさい。てへぺろ

 

<イラスト図解>工場のしくみ

<イラスト図解>工場のしくみ