私は、法学部生だ。
憲法ももちろん学んでいる。
大きな六法全書を毎日持って勉強しているのだ。
突然だが、憲法19条をご存じだろうか。
「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
ーーーーーーーー日本国憲法19条
これは、多くは信教の自由などに解釈されることも多いが、私は「自分が何を考えてもよい自由」であると解釈している。
例えば、無銭飲食をしようかと考える自由。これは、非常に公序良俗に反しているようにも思える。しかし行動に移す前であれば、決して罰せられることはない。
また、大きな駅で通り魔をする計画を脳内で組んでも、たったそれだけで罰せられることはない。
邪魔でイライラするタクシーやバスを脳内で一台一台爆破しても、実際爆破するまでは罰せられることはない。
(ただし、その気がなくても犯罪予告をした場合には駅やバス、タクシーを管理・運営している人々は犯罪予告に対する対策をとらなければならないため、通常業務を妨害しているとして業務営業妨害で罰せられる、また損害賠償を請求される可能性はある。)
なんにせよ、心で思うだけならば罰せられることはないのである。
民主主義のため、やみんなの自由な生活のため、などと表現されることも多いが、私は実際「思想を読み取る技術がない」からではないかと考える。
もしかしたらあるかもしれないが、いまのところそのような技術は一般市民であるわたしの身の回りにはない。
ドラえもんも「こころよめーる」みたいなひみつ道具は持っていないだろう。たぶん。
バウリンガルなんかはあるが、これも犬が声を出しているとき限定だ。
心拍数をよむ方法もあるが、例えば心拍数が高すぎて興奮状態の人の考えていることはわからない。
犯罪の計画をねっているかもしれないが、もしかして、目の前のお姉さんでよこしまな妄想をしているだけかもしれない。それかさっきまで見ていたサッカーの試合に興奮しているのかも。もしかしたら、鴨川を全力でダッシュしてきたのかも。
国家としてみればスパイやテロリストがわかればその前に捕まえたいはず。
目の前の人が今すぐにでも通り魔をしようとしていることがわかってるのに、目の前で逃げもせずに日常生活をおくりたい人がいるだろうか?
少し過激な主張かもしれないが、つまるところそういうことだ。
私が権力者になったら、人を思想ごとに分けてしまうだろう。
自分や家族、友人やその他の人々の命や自由脅かす危険因子をそのまま個性だと受け止められる人が世界に何人いるのだろうか?
だれも、自分が一番かわいくて、地球の裏側の人よりも自分や自分に近い人の命の方が尊い。
わたしの裏側の人も、私なんかよりも家族や友人の命を尊いと思っている。だから、命は平等なのだ。
じゃあ、人の読めない思想をどのように制限してきた
その答えは、宗教にあった。
日本人に多い仏教だが、犯罪などをおこなったことはもちろん、言葉として表現すること、また「心で考えること」も罪になる、との話を聞いた。
通り魔への欲求も、食い逃げ計画も。本当は許されないことをしたい、と考えるだけで罪なのだ。
確かに、仏様は無敵だ。大仏様が半目なのは人の心をも見透かさないようにであるらしい。仏様にかかれば、確かに私たち一人ひとりの心なんてすぐにわかってしまうに違いない。
のどが渇いてることも、目の前のお姉さんへのよこしまな妄想も欲望も。ラインを常に気にしていることも、本当はいま気まずいことも、脳で流れている音楽だって。
仏様は、像でこそあれ、本当の姿は目に見えない。だから、きっと人の心にも入ってこれるのだろうとのイメージを明確にしてしまう。
昔の人は、とっても上手だ。仏様や神様といった、私たちとは違う世界にいらっしゃる方。どこか見透かされているような、どこか監視されているような、人間なんかじゃ太刀打ちできないような存在で、人々の思想のコントロールの道具として利用されていたのかもしれない。
とはいえ、たまにはいろいろ考えないとやってられないこともある。
アルコールやたばこ、ギャンブルに逃げる前に、理性と良識を大事にし、仏様にばれない程度に、いろいろ考えてみようと思う。
うふ。