だから私は魔法の絨毯に乗りたいだけ

きまぐれメモリアル/日常エッセイ/それでも私は元気です

浮気者

 

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浮気した夫の頭の中

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恋人が浮気未遂をしたらしい。その知らせを聞いたのは、ちょうど事件から1週間ほどたった時のことだった。

不思議なことに、悲しみの涙も、憎悪も無かった。

「まあ、そういうこともあるかもしれないけれど・・・」ただ、わたしからあふれたのは、スパイス程度の苛立ちと、少しくすぐったい笑いだけだった。

私が一途に王子様を追い求めるような、そんな純愛だけを抱きしめて生きてゆきたい人間ならば、絶望したのかもしれない。

そして、ひどく彼をなじって、あなたとはこれっきりだと三下り半を突き付けたかもしれない。

けれども、私はそんな人間ではない。

男なら浮気して当然、それを許す私は寛容で心が広くって、ほらねいい女でしょう、なんてことを言うつもりもない。

そんな波風をたてる度胸も、そしてまだ見ぬ純愛を信じて彼を捨てて、白馬で疾走する新たな王子様を裸足で追いかけるような体力もなかったという方が正しい。

彼氏欲しいが口癖の、ただ理想を追い求めるだけの少女ではなくなったのだ。

漫画に出てくるような理想を具現化した人に憧れ、どうしてもそんな人と結婚したいから世界のどこに居ようとも探し出してやると血眼になれる季節はもう過ぎたのだ。

こんな私だって沢山の感情を持って生きているのだもの。途方もなくて恐ろしくて、考えたくもないけれど、世界の何人もの人が沢山の感情や沸点を持って生きている。

だから、「優しくてかっこよくて誠実で私のことだけを考えてくれて何があっても私のことが好きな動物好き」なだけの人だなんて、こんな広い世界にいないに決まってる。

それぞれ隠し通したい秘密や心の動きをもって生きている。

そしてきっと、憎悪や嫉妬なんていう、いわゆる「負」の感情とやらも、どんなかっこいい人間でも、どんな優しい人間でも持っているものなのだろう。

だから、浮気をしようとした事実そのものはいいのだ。むしろ少しは度胸がついてきたのかと褒めてやりたい。

大切なのは、ここからである。

彼は、女の子を後ろからぎゅっと抱きしめた後、女の子が「もう、寝よ?」と甘い声で囁いた、たったそれだけの静止で、諦めてしまったというのだ。

可愛い子と知り合ったということは知っていた。彼の美的センスは少し世間とずれているかもしれないが、かわいい子と出会ったことを、嬉しそうに、また自慢げに友人たちに喋っていたことも。

そんな素敵な女の子が、少し見せた恥じらいを鵜呑みにして、諦めた事実に私は苛立った。

男女ともに大人だった。少しいい雰囲気の男女が部屋で二人きりになったらどうなるか、を考えると、子供でないならばすぐにわかることだと思う。

その女の子だって、期待していた面はあるかもしれない。今日は少し念入りに体のケアをして、お風呂上りに少しお化粧したかもしれない。

ベッドシーツを新調したかもしれないし、特別にお風呂上りにも香水を振ったかもしれない。

そんな中、ポーズとしてとった「恥じらいの姿」を鵜呑みにされ、寝られる屈辱とはいかほどのものだっただろうか。

私は少し彼女の心中を思って、切なくなった。そして大変申し訳ない、という思いが渦巻いていた。

なんだか、この気持ち、どこかで体験したことがあるような・・・。

ああ、そういえば、と、私は飼い犬のことをふと思い出した。

名前はタルといって、柴犬とシベリアンハスキーの雑種で、少し怖そうな顔をしている、体重20キロほどの大きめな犬だ。

タルは、外の世界が大好きだった。いつも繋がれている紐をかみちぎったり、一瞬の隙をついては脱走していった。

そしてタルの脱走を見つけた近所の人たちがつれてきてくれ、ごめんなさいありがとうございますと頭を下げて回る。

なんだかその時の気持ちに似ていることに気が付いた。

それはすなわち、犬が他人の敷地でした粗相を始末する飼い主の気分ともいえるかもしれない。

どこかで自分のせいではないと思いながらも、もちろん監督不足であったなあという自己の過失を認める気持ちもある、そんな気持ち。

人は慣れると、彼氏だっていつかは飼い犬になるのだ。

確かに私に白馬の王子様は似合わないなあ、と苦笑しながら、今日も彼の償いのために奢ってもらう焼肉屋さんを探して、舌鼓をうつ自分を想像しながらニヤリと笑った。

 

浮気した夫の頭の中

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「どうぶつの森」考 向上心のない人間

 

おいでよ どうぶつの森

おいでよ どうぶつの森

 

 

選択肢は沢山あったはずだ。生きて行くために、何にでもなれた。

スコップと果物片手に木を植え続け、異国の果物を栽培し売ることもできた。

毎日海辺に立ち寄り、珍しい貝殻を集め、売ることもできる。

花を刈って売ることも、またデザイナーとして生地を作ることもできた。

村人たちの便利屋として御用を聞き、謝礼として貰える家具を売ったり、おもむろに木を揺らして落ちる金をあつめながら生きてゆくことだってできる。

毎日雑草を抜き続け、村での生活も長いもので10年目になった。

ブランクが数年あるものの、堅実に、真面目に毎日を送ってきた。

絶え間なく村人にホスピタリティの限りを尽くしてきたし、村で一番人情深い自信もある。

日々稼ぎ、二階を拡張するまで法外なローンを支払った。

堅実に貯金もし、5ケタの利息がつくまでになった。

虫や魚は勿論、最も効率的に稼げる化石でさえも、館長の「村人のため」という口車に乗せられ積極的に寄付してきた。

どうか精神的・文化的に豊かであってほしいと願った村人たちは、一切博物館に立ち寄っている気配はない。

いつもアホ面をぶらさげ、人生は暇つぶしだとでも言わんばかりに呑気に日々を浪費している。

自身の労力も報われぬまま、夢だけを信じて生きてきた私は、くるみ村やどうぶつの森について、大体のことは熟知してきたつもりである。

毎朝休まず貝殻を集めても、その価値は二束三文。

大嫌いなゴキブリも素手で捕まえるし、ハエ一匹も逃さず捕った。

これも全て、生きるため。そう呪文のように呟く私に、村人たちは怪訝な視線を送っていたかもしれない。

「向上心のない人間はばかである」とは、いったい誰の言葉であっただろうか。若かった私は、向上心の無い人間などいない、とこの言葉を一瞥したものだ。

日々を浪費し、実際に果物をとることも虫取り網を振り回すこともなく、ただ悠々自適に過ごす村人たちは、いったいどこに向上心を隠していたのだろう。

そして、私よりまるまる太り、沢山の家具を所有する村人たちのパトロンはいったい何だったのだろうか。

そんな周囲に対しなりふり構わず必死だった。必要があれば、乞食でもした。

それだけ一生懸命に頑張っても、多大で法外なロには到底かなわない。

いつか、有り余るローンをそのままに、私も今すぐ道具を捨て、浜辺の足跡がすぐ消えてゆくさまを楽しんだり、気ままに林檎を拾い上げて食べたりする生活をしようと何度思っただろうか。

「向上心のない人間はばかだ」という言葉が、自分の足かせになっていたのかもしれない。

向上心の無い人間はばか以前に、世界に存在すらしないだろうと思っていた。そんなものに、自分がなり下がるのが恐ろしくてたまらなかった。

 

そんな私が漁師として生計を立ててゆくことにしたのは、今日のことである。

漁師といっても、尼のように体一つで潜ってゆくものではない。マグロ漁船に乗って何か月も帰らぬものでもない。

ただ悲しいほどの真っ赤な釣り具の付いた、貧相な釣り竿で、つついてくる魚をつり上げるだけだ。

何度も何度も同じ真っ赤の釣り具にかかる姿は非常に哀れである。

自然界に大抵そこまで赤く目立つものはない。あっても、天敵がほぼいないような、もしくは周りの環境に擬態できるようなものであろう。

さわやかな光が差し込む川や海をもってして、そのような赤い姿を自然界でとるものがあろうか。

姿かたち、すべてが不自然な釣り具。村にどのような経緯で来て、どのように過ごしている魚かは知らぬが、そろそろ人間の悪意に気付くべきである。

無垢なものほど損をするという社会の縮図を表しているようだ。

そんなスズキ、フナ、アユでマンネリした日々に、突如驚きをもたらすマンボウやチョゥチンアンコウ達。幼児体型の極みである小さな体でまるで金魚をすくうように自らの体より大きいであろうそれをやすやすとつり上げる姿は、称賛に値する。

「向上心の無い人間はばかだ」その言葉が何度も脳内で反芻される。

そういえば、昔いたはいからな女の子の趣味が釣りであった。

昔おうちに遊びに行ったとき、彼女の1/2ほどの大きなスズキがどっしりと水槽に入れられ飾ってあった。

そのほかにも、名前も知らないような大きな川魚から小さな熱帯魚まで、沢山の魚が小さな水槽に狭そうに泳いでいた。

「向上心の無い人間はばかだ」。その典型例ともいえる村人たちを、私は軽蔑してはいなかったか。

けれども、どうだろう。彼女たちは、ひとりひとり思うこともありながら、懸命に毎日を生きている。

カクレクマノミやザリガニを釣って褒められていた子が、毎日毎日反復し、毎日毎日チャレンジし、いつしかアユを、いつしかフナを、いつしかスズキを、いつしかマンボウをつり上げる。

それなのに、私はどうか。

毎日懸命そうに見えて、ザリガニ一匹釣ったことがない。毎日六法全書にかじりつく私は、懸命なポーズをとっているだけだ。

軽蔑していた村人たちよりはるかに向上心がない。

 

ゲームの世界は、所詮人生の暇つぶしかもしれない。

けれども、自分の足りないものを、確かに見つけたようである。

得もいわれぬ充足感。しっかりと噛みしめながら、つい長時間のめりこんでしまっていた証である腰と目の痛みを自覚し、そっとセーブするのであった。