Nostalgia

毎日のことを、毎日のぶんだけ。日常って、実はドラマティックで溢れてる。

映画忘備録

・紙の月

すごいどこにでもいそうな、真面目そうな感じの主婦が大学生にハマるなんて、そんな人生があるとは。

あんな普通のひとがあんな生活送ってるとは…これから毎朝の満員電車で人を見る目が変わりそう。

どんどん後戻りできそうになくなっていくのを見るのは、他人事ながら心苦しかった。大学生が金を貢がれて勘違い野郎みたいになっていくのも悲しかった。お金、私も欲しいけど手に入れたら人って変わるのか…と思ったりして。

お金も幸せの尺度ではあると思うし、例えば自分はもちろん友達や親が金持ちになったらよろこばしいけど、あんまり持ちすぎるのも考えものだなあと思った。

田辺誠一大好きだから、いたたまれなかった…

なんにせよ、自分にはあんなこと度胸がなくて絶対できない。スケールの小さい自分にちょっとだけ失望した。

 

・湯を沸かすほどの愛

多分紙の月と同じ女優さんだと思うんだけど…紙の月が幸薄そうすぎて悲しかったから元気そうなのが見れてよかった。

結構しょうげきなことが多かったけど、最後はほんとにぎょえ?!と思った。

いろいろありえへんけど、この人たちにとっては確かにそれが最良な選択やったような気もする。

みんな幸せになってくれたらいいなあ。

 

・Sing!

ずっと見たかった!字幕がよかったけど渋々吹き替え見た。

でもみんな可愛くて歌うまくてよかった。私も大衆の前で歌ったり踊ったりしたいわ。

観客ノリノリなのも、なんかよくわからんけどアメリカってこんな感じか〜〜!と思って素敵だった。

なんかよくわからんけど泣いたりしちゃった…夢が叶うっていいね。私もスーパースター目指そうかなあ。

映画忘備録

アマゾンプライム会員になってもう3ヶ月ほど。

送料無料が魅力という一心で会員になったが、よくよく考えるとアマゾンミュージックにプライムビデオも使えるということで、映画を趣味にしようとおもったわたしがここ数日で睡眠時間を縫ってみた映画を、忘れないうちに書き溜めていこうとおもう。

 

まず、心に止めておきたいのが、プライムビデオは古いものが多い。新作・話題作はあまりない(まあ、月額数百円で受けられる恩恵のうちの一つであるから当然だが)。

あまり映画を見ないわたしには、昔の映画も新鮮なのだ。

 

以下、忘備録。

 

ヘルタースケルター

わたしの愛する沢尻エリカの主演作。とにかく、美しい。

沢尻エリカのもって生まれた美貌(役中では整形なのだが)はもちろん、インテリアや、窓一枚とっても美しい。

アダルトなシーンもあるが、決して興奮するしてり、照れたりするようなこともなく、ただ芸術を見ているような感じだった。

こんなものを作れる人とは?とおもって調べると、監督はどうやら写真家さん。納得。

沢尻エリカの熱演もすごい。

でも、女で生まれた以上、美しさの追求は当然だし、承認欲求もあるし、時間とともに失われるアイデンティティへの恐怖とか・・・、関係ない世界なようで誰もがもってる感性?感情?に共感できる映画でもあった。

 

さくらん

ヘルタースケルターが美しくて美しくて、同じ監督の作品を見てしまった。

こちらもとっても色彩が美しい。女優さんも綺麗だし、成宮くんも安藤政信もかっこいい。

夢を見させるための、いわば偽りの世界の中での本当の気持ち?愛?を追い求めるというか・・・

漫画は見たことないけど、思い切りがあって、それで安易ににげない、最後が安野モヨコっぽくてやっぱり人生の憧れだなあと思った。

息子が生まれたらせいじって名前にしたい。

 

嫌われ松子の一生

波乱万丈、なんだか人の運が悪い、きっともっと不幸になるんだってわかるけど、いろいろな経験ができて、素敵な友達がいて、愛に溢れる素直で美人な松子の人生は、わたしの人生を5でかけても足りないくらい、価値のあるものだと思った。

道ですれ違う普通のひとにも、一人一人にいろんな人生があるのかなあ、とか思った。

素直で可愛らしくて、共感できるからこそ見てるひと全員に応援させてしまうのかも。

最後に、みんなが松子のよく歌う歌をそれぞれ歌った瞬間、ああ、たしかに本当に松子は神様なんだなと思った。

つぎのじんせいはどうか幸せに。自由になりますように。

ペットロスな日々

 

 

実に、仕事以外で執筆するのは数か月ぶりだ。

そうだ何か書こうと思いきるとき、大抵何か特別なことがある時なのだが、ちょうど大切なものを失ってみて、その私の記憶というあやふやなものしか残っていない、わたしの「大切なもの」の形を少しでもすくい上げてくっきりと残したいと思った。

 

というのも、題名通り、ちょうど1,2か月ほど前、私ははじめて、大切なものを失った。

 

それは、「家族」という名のペットである。

 

後戻りのできない恐怖。いままで大切なものを無くした事は無かったし、人生に失望もしたことがなかったが、こんな気持ちになったのは23年生きてきて、はじめてのことだった。

それは、人生の中で一番と言っていいほど悲しかった…といいたいところだが、なんだか今まで経験し、人に表現した感情の中で、適切な言葉が見つからない感情に包まれた。

悲しい、といえばその感情も少しはあったかもしれない。けれど、そんな既存の言葉では到底表現できないのだ。

あえて名づけるとすれば、それは「無」だった。

それは決して何も考えていないわけではなく、ただ、ボンヤリと、喪失感のような、心に穴が開いたような、そんな月並みな言葉では表現できない、表現したくない程の虚無だった。

五感を何も駆使出来ないような脱力感と、そのことしか考えられない集中力。

死を受けとめられない、という言葉は聞いたことがあるが、ごめんね、死んじゃったの、と涙交じりにお母さんに言われた時も、嘘のような夢のような幻のような、それでもやはり現実なような、受け止められない気もするが、心のどこか奥底で受け止めているような、体中が矛盾で包まれていた。

 

これほどまでに衝撃を受けたのには理由がある。自慢じゃないが、私は今まで大切な人を亡くしたことがなかった。

おじいちゃんやおばあちゃん等主要な人々は生まれてきたときには既に亡くなっていたり、遠いところに住んでいて人生で数回しか会った記憶がなかったりしており、実家で同居していたおばあちゃんや両親、姉は全員それなりに元気に存命中だ。

数日で死んだ金魚に情はうつらなかったし、昔飼っていた数匹のウサギはたまーに話しかけるくらいで、特に名前をつけたり呼んだりした記憶もない。

だから、幼少期から名前を付けて、呼んで、毎日話しかけて抱きしめて散歩に行って、時には怒って、作文が宿題になれば必ず彼について書き、図工の時間は絵でも粘土でも必ず登場させていた、私がずっと思い入れを持っていた大切なものが消えたことは、自分にとって人生で初めての衝撃だったのである。

 

だから、昔から「死」について、自分には他人事だと思っていた。死ぬ可能性が皆にあることは知っている。

でも、私と私の周りだけは別だ。多分、この先自分が消えてなくなるまで、誰も死なない。

そうかたくなに感じている自分がいた。

だけれど、だんだんと嫌な兆候は少しずつ少しずつ表れていった。

テレビで芸能人が死んだニュースが流れても、コレ誰?から、この人亡くなったのか!と衝撃を受けたり、元気いっぱいだった近所の犬がだんだんよぼよぼになっていたり、愛犬の尻にできものが増えたり、家の中でウンチを漏らしだしたり。

 

そのたび、色々と彼が死ぬことを想像しては泣き暮らしていた。

彼の目の前で涙ぐんでしまったりもしたし、電車内で涙をぬぐったこともある。

だから、シミュレーションは完璧だと思った。

けれど、ついに彼の死に目に会うことはできなかったし、現実を受け止めることもできなかった。

 

そんな失意の中、彼が亡くなってしばらくして、アドベンチャーワールドへ行くことがあった。

アドベンチャーワールドとは、和歌山県にある、色々な動物と触れ合えるスポットだ。

パンダからペンギンからキリンまで、沢山の種類の動物がいる。

動物は元来大好きであるから、彼への心の傷を持ったまま、それでもわくわくしながら向かった。

そこで、犬と触れ合えるスペース、というものがあった。

犬の触れ合いコーナーがあるなら興奮する。なぜなら犬はすべからく可愛いからだ。だから率先して行くのだ。

そんな方程式が自分にあったからかもしれない。私は犬という単語に少し心を傷つけながら、それでも犬に立ち向かおうと、触れ合いコーナーへ向かった。

 

触れ合いコーナーの犬たちは、確かに犬だった。けれども、いつも感じるこみ上げる可愛さがない。

確かに、みんな犬として、綺麗な血統書付きのような犬である。うちの犬のような、何と何のミックスか分からない犬とは違う。

けれども、彼らはまるで生きていないみたいだった。

 

生きていない、といえば語弊があるかもしれない。立ち上がり駆け抜ける彼らに生命力を感じないといえばうそになる。

けれども、どうやったって、彼らの感情をくみ取ることは出来なかった。

理解できないことがこんなに怖いとは知らなかった。犬が嫌いな人が笑顔の可愛い犬に「襲われそう!」と言って無駄に恐れる気持ちが分かった。

同時に、悲しくもなった。きっと一匹一匹、それぞれ性格や個性があって、自己表現がしたいに決まってる。それがくみ取れない人間がいることが、彼らの人生に切なさを加えている、と思った。

 

それと同時に、わたしが愛犬の気持ちが手に取るようにわかって、表情がとてつもなく豊かに見えたこの彼との十数年は、びっくりするほど幸せだったのだ、と気づいた。

そして、私の人生の節目で体に10円ハゲをつくるほどいろいろ心配してくれていた愛犬も、私の気持ちを汲んでくれていたに違いない。

いつも抱き着いたりちょっかいばかりかけて、散歩もたまにしかいかないし、彼に特別好かれていた自信はないけれど、それでも、ほんの一瞬でも、彼の人生に私という存在が紛れもなく登場していたのだ、と思ったとき、生まれてはじめて私は自分の人生を、生き方を肯定できた。とてつもなく大きな力に救われた気がした。大袈裟だと思うかもしれないが、私にとって彼は、それほどまでに大きな存在なのだ。

 

失ってわかるものがある、とはよく言ったものだが、実にその通りだった。

悲しい時間の中で、少しずつ時間が私を癒していくうち、私が彼を心から愛していたことがわかってきた。

いや、愛している、といった方が正確かもしれない。

こと彼への愛情については、世界の誰も、きっと神様でさえ、私を偽善者と呼ぶことは出来ない。

私は形に見えないものが苦手だ。信じていないわけではないが、すぐに一片の曇りを探してしまう。

けれど、私の彼への嘘偽りない愛情、これだけは確実に存在すると胸をはって言える。

本当に、大好きなのだ。

もう二度と、この私の気持ちを伝える機会がないかもしれない、という事実が胸に刺さる。

本当は、私のこの大好きだという気持ちを彼に伝えてほしいけれど…けれど、そんなことどうでもいいや。

神様仏さま、もし天国があるとすれば、そこではきっと彼の体の傷を治してあげてください、元気に飛び回って走り回れる体に戻してあげてください。

グルメすぎてドッグフードは食べません。少しくらい太っていいので焼肉パーティーしてあげてください。

可愛い気の合う犬と、素敵なセカンドライフが過ごせますように。

もしも生まれ変わったら、誰かに愛されながら、散歩も行き放題の、素敵な家庭にもらわれて、悔いのない一生が過ごせますように。

どうかお願いします。もし生まれ変わっても、私は彼のことが大好きです。どうか、幸せな未来を、彼に用意してください。よろしくお願いします。

22歳の思春期

思えばわたしの人生は、恋というものの気づきが遅かった方であると思う。

良くも悪くも子供っぽく、また恋愛に対して少し潔癖症で、どこか許されないというか、ふしだらというか、高校生までそんなことを考えてきた記憶がある。

よく考えれば姉とも両親とも恋愛沙汰の話はしなかったし、恋愛結婚した姉がいる今もそのような話をするのは少し照れくさい

 

また全くモテるタイプではないわたしになし崩しに彼氏がはじめてできたのも大学2回生に入ってであったが、その時付き合いに発展したのも特段この人がいないと生きていけない、など歌う世間の気持ちも分からぬまま、人生は何事も経験だと思ったからであった(よくよく考えると非道であって、自意識過剰のようだが相手にも申し訳ない気持ちでいっぱいである)。

その彼氏とも2年付き合ったものの、たまのシチュエーションに自分が少女漫画の中にいるみたいだなあと思ってときめくことはあったけれど、それはいま考えると相手に対してではない。

相手に対しては結局友に感じるよりちょっと強めの情がわいたまでで、毎日特別ワクワクするだとかは特になかった。

なんだか綺麗に可愛くなったね、やっぱり彼氏ができて恋をしてるからかなあと友人から言われたこともあったが、側から見たら恋をしているように見えるのかという違和感と、友人へのかすかな失望を感じたまでだった。

 

そんなわたしが、あろうことか世間に言われる恋に、今更、落ちてしまったのである。

 

相手は友達の友達のN君である。

Nくんの良さを端的にいうと、とっても優しいことだ。誰に対しても、自分のできることを100パーセントしてあげたいと思い、実際行動に移せる人間である。

人に優しくありたいと思っているが、なかなかできない心の狭い臆病なわたしにとって憧れとも言える人。

またとってもポジティブで、明るくって、人の悪口も言わない。なんだか少女漫画から直接出てきたような人である。

 

わたしはNくんのことを考えると、なんだか心臓のあたりのなんだかやりきれない痛さを感じる。

自分の失態を夜中に思い出した胸の疼きとも似ている気がする。

隙があれば彼のことを思い出すし、なんだか歌い出したくなるような衝動にもかられる。

なんだか気持ち悪いけれど、止められないのだ。

ああ、恋ってこういうことなのか と、思春期真っ只中のようなことをつい口に出してしまう。ああ、わたし今年で23歳なのに。

 

もちろん、人は完璧ではない。前の彼氏はまあそれなりに賢くはあるのだが、頭の回転が少し悪いというか、要領が良くなく、なんだか割の悪いことばかりやらされる役回りであって、それは確実に自分の利益を確保できないという自分に帰責性のあることであるのにそれをだらだらと愚痴ることが嫌いであった(わたしはそれを頭が悪い男は嫌だなあと考えていたし、大人な男性が好みだなと何度も感じた)。

しかしNくんは要領は素晴らしくいいものの、要領以外はあまりない。

地頭はよいのかもしれないが、語彙力が本当に無く、わたしのこのような拙い言葉でさえ理解できない。

ためらうとか、憚られるとか、そういった言葉すら通じた試しがない。

なんだか本当にアホの子に見える。停電が起きたら喜ぶし、柚子湯の柚子は食べちゃうし、なんだか小学生みたいである。

わたしの理想である賢く、大人な男性とは程遠い。

だけど何故かわたしは大好きなのだ。また、わたしの好きな俳優さんは鈴木亮平すなわちムキムキで男らしいちょっとタレ目な男性が好きなのだがNくんはもはやわたし以上にガリガリなのではと思うほどである

足は折れそうだし、筋肉もひとかけらもないように見える。

しかも目はツリ目で、まあ美形だと胸を張っては言えないような、人並みのごく普通の顔である。

背も平均身長よりも低いし、足のサイズもわたしよりも小さい。

けれど、それでもわたしはNんが大好きなのだ。

こんなに納得できないことがたくさんあるのに、それでも何故かわたしは彼が好きなのである。

これは自分自身未だに不思議に思っている。

 

どうしてこの気持ちが止められないのか?

 

家族法を専攻し、不貞行為の罪の重さをよくよく知っている。

ずっとリスクと信頼の失墜、また相手の心の傷と引き換えに不貞行為をはたらく者の気持ちがよくわからなかったが、今なら不倫する人が世界にいるのは仕方ないなあとも思う。

育ってきた環境が、甘くて我慢ができない、また相手の気持ちを慮る先見がひとかけらでもできなければ、だれでも不貞行為をはたらく可能性はあるだろうなあとすら思う。

 

他の友人たちは、こんな思いを中学生ぐらいからやってきたのだろう。本当にしんじられないというか、長い間よく頑張ったなあと感じる。

 

胸の痛みにつながる思考回路はよくわからないし、なんだか自分自身の気持ちも分析しかねるが、ただ恋は理屈じゃないと歌った先人の気持ちが分かるようになった

なんだか不思議だけど、その通りなのだということがよくわかった。

 

このような気持ちを理解させてくれたNくんには、感謝してもしきれない。

毎日私からのハートマークばかりのラインを眺める彼も、きっと心労に思っていることだろう。

けれどもそれでも優しく毎日私の口角が緩むような返事をくれる彼には、本当にありがたい気持ちでいっぱいだ。

これからも、あともう少しだけでもいいから、わたしの気持ちに付き合ってほしいなあと考えている。

 

最後に、わたしの大学時代を彩ってくれた彼氏に対して、様々失礼なことを言ったが、何も経験値を持たないわたしに貴重な体験と経験をさせてくれた彼氏に対して、非常に感謝している。

彼のおかげで友達とできる会話の幅も広がったし、時に叱ってくれることで自分自身の課題も見えたこと、また優しくされる嬉しさなど、その他様々わたしに与えてくれた。

ただひたすら感謝である。彼に幸あれ。

ヨイトマケ考

 

ヨイトマケの唄

ヨイトマケの唄

 

 

――――父ちゃんのためならエンヤコラ、母ちゃんのためならエンヤコラ、子供のためならエンヤコラ―――――

 

生粋のおばあちゃんっ子であった私は、おばあちゃんとずっと一緒だった。

だからおばあちゃんの大好きなSMAPのキムタクにも、徳永英明にも親しみを持っていたし、おばあちゃんの嫌いな猫は私も苦手で、またおばあちゃんが蛇と蜘蛛を仏様の生まれ変わりだというと私も精一杯大切にした。

おばあちゃんは表情豊かな人だ。怒るときは怒るし、かといって笑う時はとことん涙がでるほど笑うような、そんな人である。

おかげで私も感情表現がストレートに育った。だか気に入らないことがあるとすぐに泣いてしまう、いわゆる「泣き虫」だった私に、おばあちゃんは「そんなにすぐ泣くな、涙の安売りはするもんじゃない」とよく怒られたものだった。

確かに、おばあちゃんが悔しくて泣いている姿は見たことがない。

ただ、そんなおばあちゃんが唯一涙を流すもの。それは、三輪明宏さんの歌う「ヨイトマケの唄」を聞いているときだった。

 

おばあちゃんがまだ小さいころおばあちゃんのお父さんが戦死してしまい、お母さんと祖父母により育てられたおばあちゃん。確かに、お母さんが家計の大黒柱として働いていたということは想像に難くない。

母が身を削って、家族のために働いている姿を歌い上げたヨイトマケの唄は、どこか祖母の記憶とかぶるところがあるのだろう。

勇敢な父、大胆だった祖父、自分を大切にしてくれた祖母、そして強かった母。ヨイトマケの唄を聞きながら家族のことを語るおばあちゃんは懐かしそうで切なげで、そして自慢げでもあった。

私はそれをどこか物語のように聞いていた。

肉親との別れも未だ体験したこともなく、働いたこともない私は、父の戦死と対面したおばあちゃんの心情や、家族を支えた母に対する尊敬の念をしっかりと汲むことができなかったのだ。

いつか大人になったら分かるのかもしれないけれど、おばあちゃんに共感したい気持ちと、分かるのが怖い気持ちがまじりあった不思議な感覚であった。

ただ、なんとなく、きっとこれから私にも誰かとの別れが訪れるだろう。また、だれかを支えるために労働しなければならないときが来るのであろう。そのような漠然としたイメージと一欠けらの覚悟を自分の中に感じてはいた。

 

 

そんな子供も遂に大学生になり、アルバイトを始めた。

個人営業のこじんまりした居酒屋で、あまりハードではないけれどおじさんの下品な話をニコニコしながら聞き続ける日々に、確かに働くことは大変だなあとボンヤリと感じていた。

そして最近、社会人になるまでにいろいろな経験をしてみたいとの思いから、派遣に登録し、飲食以外のバイトに挑戦することにした。

そして、ひとまず工場バイトにたどり着いた。

 

もともと折り紙などの単純な作業は、割と没頭できるタイプであったから、きっと工場も向いているだろうと思っていた。

単純な作業を9時間行い続けること、それに飽きてはしまわないかと不安にはなったけれど、飽きたらまあ誰かとおしゃべりして楽しく過ごそうと思って、むしろワクワクしながら職場へ向かった。

いざ着いてみてもきれいな施設であるし同じ年頃の女の子もたくさんいるし、楽しそうだなあ、何を話そうかと考えながら、工場のバイトが始まった。

 

ところが仕事となると、全員が猛スピードであった。商品を猛スピードで束ねる人、段ボールに詰める人、そして重いダンボールを自分の背の高さほどまで積む人。

仕事が早いと居酒屋で持て囃されていた私は仕事の速さに自信があったが私なんかが太刀打ちできるレベルではないと感じて絶望した。

これから何回商品に触れば9時間が終わる?段ボールを何箱見れば家に帰れる?いろいろな回数を脳内で計算していくと、人生で初めて「永遠」を感じていた。

 

結局、私は流れてくる商品を一定数束ねてゆく仕事に割り当てられた。

単純作業、といえばその通りだ。さっきから手は同じような動きしかしていない。

だが、自分のキャパシティを増やし、効率化するためにどのような動きをすれば最短距離で束ねられるのか、どの指をどう動かせば自分の掌の痛みが和らぐのか、そんなことを常に考えている。つまり、体を使うことはもちろん、

頭もフル回転なのだ。このベルトコンベアはあのプリンの色と一緒だなあとか手で無理やり止めたらどんな動きをするのかなあとか考えることはおろか、次々流れてくる商品に書いてある文字を読むだけでも手元が狂ってしまう。

つまり、尋常ではない集中力が試されるのだ。

自分がつまれば全員の円滑な仕事を阻害することになる。だからその限られた時間の中で素早くかつ丁寧に、ミスなく正確に作業を行わなくてはならないプレッシャーと闘いつつ、何も考えないように、かついろいろ考えながら真剣に取り組んだ9時間。

今までの、一日1組しか来ないような居酒屋でのアルバイトがいかにぬるま湯であったかを痛感した。1時間900円を得ることに対する自分の責任を実感した。悲鳴をあげる自分の足腰と掌、にじんでくる汗を感じながら働くってこんなにも大変なのかと衝撃を受けた。

 

ああ、思えば、私が来春から働く会社で製造をしてくれる人たちの仕事もこんな感じなのではないか。

メーカーである以上、私がクーラーのきいたオフィスで電卓を弄繰り回している間だって、商品を精一杯作ったり、梱包したりしてくれる人は必ずいるはずだ。理屈では理解していたつもりだったが、私は商品は機械が勝手に作って勝手に梱包して勝手に営業の手に届けてくれると考えていたのではあるまいか。

私の会社だけじゃない。私が着てる服だって、携帯だって、住んでいる家だって、食べているものだって、見えないけれど、「作った」人がいるはずだ。

今まで、そんな人たちのことを理屈では理解していても、一瞬だって本当に考えたことはなかったのではあるまいか。

 

「当然の暮らし」って、こうやって人が体を痛めながら心を砕きながら作ってたんだなあ。社会って凄い。偉大。社会の歯車なんてよく言ったもので、確かに一人が欠けても世界は回るけれど、その一人は確実に社会に貢献しているわけで。「御社を通じ社会に貢献したい」なんて就活で言いまくったものだけれど、こんな前日の思い付きで来たアルバイトだって確実に社会に貢献しているのだから、言うだけ無意味だったかなあ。

 

――――父ちゃんのためならエンヤコラ、母ちゃんのためならエンヤコラ、子供のためならエンヤコラ―――――

 

誰よりもテキパキと、小さな体でせっせとダンボールに商品を詰めている、正面にいたおばちゃんを見つめていると、急に幼少期おばあちゃんと聞いたヨイトマケの唄を思い出した。

きっと、社会人全員がヨイトマケなのだろう。世界中の「母ちゃん(男性含む)」、いつもいつもありがとう。

 

 

そんなことを考えている今だからこそ、サラリーマンに足を踏まれたことも、舌打ちされたことも、全て許せる気がする。だから、そのあと仕返しにかるーく鞄ぶつけたこと、どうか許してください。ごめんなさい。てへぺろ

 

<イラスト図解>工場のしくみ

<イラスト図解>工場のしくみ

 

 

大人って完璧じゃないんだなあと気づく話

物心ついた時からずっと、大人の世界は完璧だと思っていた。

 

私には感情があって、時に爆発してしまうこともあるけれど、大人は成長しきった後だから、そんな感情の起伏を見せるスキもなくって。

ただ苛立ちも不満も制御されたストレスフリーな完璧な世界で、愚痴を零すこともなく誰かの悪口を言うこともなく、もちろん失敗なんてすることなく、ただ平和的な完璧な環境で生きていると思っていた。

理由は簡単。私の母親に欠点が見当たらなかったからだ。

私が苦手なことを何でもできる。

掃除もごはんづくりもできるし、字だって綺麗。どんな探し物も一瞬で見つかるし、何か困ったことがあっても、相談さえすればなんだって解決してくれた。

車も運転できるし、常識や知識だってある。まさしく完璧。

だから、大人はみんながみんなそうなのだと信じて生きてきた。友達のお母さんだって、みんな完璧だ。

 

まあよくよく考えると、それじゃあどうして事件が毎日起きるのかなあとか、たくさんの矛盾も孕んでいるのだけれど、私はそこまで思い至らず、私の住む日本の大人たちはひとつの瑕疵もない完璧な社会に住んでいる完璧な人たちだと信じていた。

勿論、子供である今の私は到底完璧な人間たり得ない。

だから失敗だってするし、些細なことで拗ねるしごねる。時には号泣しながら心を乱していることをアピールだってする。

ただ、その原因だってすべては私が所謂「子供」だから。そう思いながら、20歳近くまで生きてきた。

大学に入学し、わたしが大都会へと羽ばたくとき、自分が大学を卒業するころには、自分の思い描く「大人」に、つまりは「完璧な人間」に自動的になっているのだ、と考えるとどこかさびしく感じた。

 

そしていざ一人暮らしをすると、思いのほかダメダメな自分がいた。

インターネットの支払いは遅れに遅れ、部屋は掃除をしないから乱雑。

毎日昼にムクリと起き上っては手のひらぶん程のフルーツグラノーラを掻き込んで友人と遊びまわる。

心底いやなことに直面したら、一人部屋で少し泣いてから大好きな犬の画像を見て気を紛らわす。

うれしいことがあったら、一人の家でだって舞い上がって踊りだしてしまう。

到底「完璧」とはほど遠い自分がそこにいた。

けれども大丈夫。だって、私はまだ子供。成人したとはいえ、まだ「大人」じゃないんだもの。これから自然と、できないことができるようになっていくでしょう。

 

そう思っていた私であったが、大学一年生の夏、自分の価値観を変える衝撃と対面した。

忘れもしないそれは、一冊の参考書。

誰かの自費出版でもありえない、ちゃんと本屋さんで買った、キャッチーな表紙のついたカラフルな参考書。

有名な予備校が出した、いわゆる私の中で完璧だと信じていた「大人」が何人も携わったであろう本である。

 

その本の中に、「つまり~~~のだである。」との一文を見つけてしまったのだ。

 

これはどう見ても「誤植」である。きっと「だ」が不要であったのだ。

大人の世界の出した本なのに、どうして…。非常に大きな衝撃を受けたと同時に、自分が完璧であると感じていた大人の世界が崩壊した音を感じた。

何度考えても、意味が分からなかった。大人って、完璧なんじゃないの?私が一時間で適当に書いたレポートを提出するのとはわけが違う。というか、私でさえそんな誤字をしたことはない。

 

そのとき、あまりの衝撃に、何個かの仮説が頭に駆け巡った。

大人にも、劣等生がいる?

この会社の人たちが、たまたま目も当てられないようなポンコツだったの?

それとも…

 

あれ、もしかして完璧な大人って自動的になるもんじゃないんじゃ...?

 

そのことに気付いた瞬間、驚きと同時になんだか酷く落胆した自分がいた。

まだ何もできない私だけれど、自然と完璧な人間に育つわけがないのだ。

わたしがこのまま変わろうとしないと、一生この不完全なままで生きていかなければならないのだ…

ゴールである完璧はひどく遠いものに思えたし、改めて世の大人たちを尊敬した。

しっかり知識を増やさなければとも思ったし、しっかり生きていかなければとも思った。

バイタリティーはもちろんだし、自分の感情もある程度コントロールできるようにならなければ。

字だって一生綺麗にならない。人前でも恥ずかしくないくらい達筆になりたい…。

 

でも、どうやって?自然になるのではないとしたら、私が何か努力しなければならない…。

 

途方もない計画に、絶望と限界を感じていたけれど…

大人は完璧、というフィルターが外れると、なんだかいろいろなものが見えるようになった。

あのバイトのおばちゃんはなんだか怒りっぽくて感情的。

店長は字が絶望的に汚いし、悲しいくらい短絡的。そして愚痴っぽい。

テレビでは毎日人の悪口をいうコメンテーターがいるし、汚部屋特集もあるし、浮気しまくるお姉さんもたくさん出てる。

 

個性、といってしまえば聞こえはいいけれど…

あ、大人って完璧じゃないんだ。

 

よくよく考えたら当たり前だけれど、20年近く生きてきてはじめて気づいた話。

大人になること、怖くはなくなったけれど…

卒業間近にして、それでもやっぱり完璧を目指したくて試行錯誤しまくっている今日この頃です。

汚部屋考 脱!汚部屋☆綺麗な部屋を目指したい

 

片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術

片づけられない女のためのこんどこそ!片づける技術

 

 

私の部屋は、汚い。

 

理由は明白。汚くても、誰も困らないからである。

 

部屋がホコリまみれだって、私にアレルギーはないし。

 

髪の毛が心霊現象ばりに落ちていたからどうだというのか。

 

洗っていない皿があったって別にどうということない。

 

本が雪崩を起こしていたって、ある程度の場所さえ把握すれば全て崩したらいずれ見つけられる。

 

足の踏み場がないのなら、ものを踏んでいけばいい。

 

少し壊れてしまったって、私の家のものは分かってくれている…。何故なら、俺の屍を超えて行け、そういう気持ちでわが家へ来るように対話しているつもりだからだ。

 

そんなこんなで、客観的に見てみれば、部屋が汚いことで何ら困ったことはない。

 

 

だから、実家にいるとき、親が勝手に部屋へ入り片づけてゆくことが不思議だった。

 

結局自分が置いた場所に目的のものがないことが腹立たしく、私の機嫌を損ねるだけだというのに、何をそんなに頑張らなくてはならないのか?

 

そう考えていたものだから、一人暮らしになった途端奔放な生活を送り続けていた。

 

自分が思うがままにものを置き、散らかす生活。確かに自分が置いたところにそのままものは残っている。

 

時たま無意識にどこかへ置いたアイライナーなど、小さなものを探すときに少し苦労するけれど。

 

いつでもないものは親が片づけたせいだと考え怒ってしまっていた実家暮らしを思い出し、親に擦り付けた冤罪もかなりあっただろうなあと思うと少し胸が痛む。

 

しかし一人暮らしも4年目になってきたこの頃、部屋の汚い生活に疑問を感じている。

 

何故なら、部屋が汚い時に限って体調を崩す。また、陰鬱な気分になる。生理中だと特に、情緒不安定になるからだ。

 

現在の自分の部屋の荒れ具合を見ていると、だんだんと焦燥感にむしばまれてくる。

 

だからこそ、その焦燥感を紛らわそうとしてひたすらスマホと睨めっこしヒカキンTVを朝から晩まで見るという不毛な一日が完成するのだ。

 

私はその不毛な一日を何よりも忌み嫌っている。だから決意した。

 

部屋を綺麗にしよう、と。

 

 

~Day 1~ Welcome to my room!!!!玄関

 

玄関は、部屋の顔である。入った瞬間目に入る場所。帰宅した後の色々なことに対するモチベーションに大きな影響を及ぼす場所だと言えるだろう。

 

まず最初に、クツバコと対面する。

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靴をきちんと入れていないから、基本的にスカスカである。

 

また、少し目線を広げてみよう。

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脱ぎっぱなしだから散らかる靴たちと面倒で部屋に入った途端投げ出された鞄たち。

 

面倒だが、片づけてゆこう。

 

ステップは以下を踏む。

 

①靴を靴箱になおす。

 

②マットを整え、床を拭く。

 

③鞄を移動し、床を磨く。

 

やっていこう!!

 

 

①靴箱になおす

 

靴箱がだんだんカラフルに!!就活中にイズミヤで買った二千円のパンプスも、裏敷のゴムが完全にすり減り、プラスチック特有のカツカツ音がしていたので捨てることに。

 

中学生時代から愛用していたアディダスのスニーカーも、ゴムの変色やかかと部分がボロボロになってしまったこともあり捨てる。

 

また、青と緑のサンダルもかかとがボロボロで捨てることに。

 

もったいないけれど…本当にありがとうございました。

 

趣味の合わない靴だけれどキレイなものは、実家に送ることとする。

 

そんなこんなで厳選し、

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ときめく靴が沢山ならぶ整った靴箱になった。

 

散乱しきっていた床も、

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こんなにさっぱり広々。鞄ものけて床も磨けば、

 

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こんなに広い、ちょっと宮殿チックな床に。

 

おそうじ、大成功!!

 

  • 今日のコツ

    1.ときめく掃除手順を見つけよう!

        →私の場合、重曹で床を磨くとドキドキして好きでした。あといらないものをすてて、家がスマートになっていくような感覚も。ただ、玄関は場所柄砂がついていたりするので、拭き掃除より前に掃き掃除(掃除機)で大きなゴミを取り除いてから拭き掃除をしましょう☆

 

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    2.妥協しない。トコトン。

        →性格に依存するかもしれないですが、私はトコトンこだわっていくスタイルがあってます。だから、どうせやるなら1mm残さず拭いたりしよう☆

    3.とにかく、決心!!

         →私はブログを書こうというモチベーションのために掃除ができた。ある程度強制力のある環境は自分で作らないといけない。例えば誰かを家に招待するとかすると、無理にでも掃除する精神にもっていけます☆

 

 

以上が、私の玄関掃除レポートでした。明日からも、毎日コツコツお掃除頑張ってレポートしていこうと思います☆

 

 

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今さら聞けない掃除の基本 (エイムック 3470)
 

 By Marca Shiina